カテゴリ:自己紹介( 12 )

【自分史8】コンサートは父の入院がきっかけだった。

父が1ヶ月ほど入院したことがあります。
当時、両親と弟は山形県の赤湯という温泉街で、揚げ饅頭の製造販売をしていました。
そこは父親の実家、私から見れば「おじいちゃんの家」になる訳ですが、ここで父と母と弟は『どらまん』という揚げ饅頭をつくっていたのです。私は千葉で一人暮らし。

父は通院でもよかったのですが、
母や弟の負担も考えて入院となり、
私が山形へ出向いて手続きをしました。
病室へ行くと、パジャマ姿で
ベットに腰掛けている父がいました。
この時、初めて思ったのです。
「いつか本当にこういう日が来るのだなぁ」と。
そう、今回は家族の都合もあって
入院となりましたが、いつか本当に
お世話になる日が来るのです。

「両親が元気な内に、
歌を聴いてもらわなくっちゃ!」
これが、コンサートをしようと思った
きっかけです。

父の実家近くのレストランでコンサートをしました。皆さんに喜んで頂き、2回目のコンサートも開催できました。

と、コンサートの数日前だったでしょうか・・。
ピンクの可愛い割烹着を着て、
店の手伝いをしていると
宮内駅前商店会の名刺を持った男性が
二人訪ねて来ました。
父の実家から車で15分ほどの
宮内という町の方々でした。

宮内は、童謡なしょ話の詞を書いた結城よしをの故郷で「童謡の町 宮内」をアピールしていきたいとのお話。そして、その一環として行われる「待合室コンサート」のお話を頂いたのです。


人生はどこで何が起こるか、本当にわかりません。


それから15年ほど
「待合室コンサート」をして、たくさんのことを学びました。

何を演奏し、何を話したら
お客様に喜んでもらえるのか。
どうしたらお客様の足を
止められるのか。

色々試してわかったことは…
よく知られている曲を演奏する。
でも、音楽家としての「見せ場」も必要。
トークは長すぎてもダメ。
お客様だけでなく、主催者にも喜んでもらえるものを工夫する。
新しいことをやってみる。例えば、お箏とやってみる。ソプラノやテノールとのデュオをやってみる。


ここで試行錯誤しながら
トークコンサートの原形が
できあがっていったのでした。




こちら打ち上げでよく頂いた
宮内のお酒<東の麓:あずまのふもと>
美味しいのだ、これが!(#^.^#)
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by kannochie | 2017-04-16 02:37 | 自己紹介 | Comments(2)

【自分史7】トークコンサートルーツの話《お客様行かないで!編》

この記事とは別の自分史7を
書いていたのですが、
時系列を考えると
先に挙げるべきことがありましたので、
以前に書いた記事を編集したものを
【自分史7】として改めてアップしました。

<2015/5/14の記事を編集>
お陰様でカフェブレニーでの
ミニ音楽会も2015年6/13(土)で
12回目を迎えます。ありがとうございます。

さて、次回のプログラムを決めるにあたり
これまでのコンサートの資料などを
引っ張り出して色々見ておりました。
そして、現在の音楽会の原型となった
コンサートのことを思い出しました~!!

教員を辞めた次の年から4年ほど
トリックアートの美術館で
コンサートをする機会を頂きました。

このコンサートも教員時代の同期の
お口添えによって実現しました。
ゆりちゃん、ありがとう!

最後の2年間では、
コンサートを20回以上しましたので、
ほぼ月1のペースです(>_<)


一番初めのコンサートのプログラムが
資料の中から出て来ました。
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オールクラシック。
しかも有名どころの曲もほとんどなく
自分が歌えるもの
自分が歌いたいもの、という感じです(T^T)

なんにも わかっていな~~い、私!!(>_<)

絵を見に来た方がついでに
立ち寄れるコンサートです。

こんな選曲をしたら結果は明らか!
絵を見ながら列が流れていく。
その合間に聞いて下さるお客様も
いらっしゃいましたが
ほとんどは、立ったまま。

並べられた椅子に
座って下さったお客様も
一曲終わると立ち去ってしまう…

誰もコンサートに興味はないのです(ToT)
いや~悔しかったです。

なんとかして
お客様を立ち止まらせて
椅子に座ってもらって
最後まで聴いて頂きたい!
これが目標になりました。

そうなるには、どうしたら良いのか…??








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by kannochie | 2017-04-16 00:00 | 自己紹介 | Comments(0)

今日は朝活。変顔で失礼します。

ブログ一覧で変顔がいきなり
目に飛び込んで来るのも
ご迷惑かと思い、チラシが最初で失礼します。

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朝活したらちょっと眠くなってきたので
ジドリ写真で笑って元気回復。
笑うってスゴいなー!
左上がお気に入りですが
改めて見るとゾンビですね笑笑

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by kannochie | 2017-04-06 12:36 | 自己紹介 | Comments(6)

かつて歌ったCMを見つけました。

【過去の記事を再編集しました。】
YouTubeを眺めていたら
かつて歌ったCMがありました。

仕事がなくてどんよりしていた日々。
歌ったCMがテレビから流れてくると
元気が出て、「頑張ろう!」という
気持ちになりました。
2~3回しか見たことないですが(^o^;)



9万9千800円のパソコン買うならソーテック♪






最後の最後で「保険工房!」と歌う
一声だけのCMでした~笑
10分で収録終了でした。










・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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by kannochie | 2017-04-05 00:00 | 自己紹介 | Comments(2)

【自分史6】ビビりな自分とさよならしよう

「うたよみざる」で知り合った方が
エイジェントを紹介してくれました。

私の人生の7割は「いい人の恩情」で
成り立っている。

今回の人といい
うたよみざるへ
つないでくれた人といい…
私の人生の7割は「いい人の恩情」で
成り立っている。間違いない。


このエイジェントから
CMや映画のコーラスのお仕事や
オーディションの話を頂きました。

初めてのオーディションは
子役オーディションで有名なアニー!
サーバントの中の一人
女中頭みたいな役。
最後の二人まで残ったのですが
ビビりなために
チャンスを逃したというお話です。


オーディション当日
日テレに行くと
子役を目指すキッズとママの
ものすごい数に圧倒され
場違い=アウェイ感満載。

かなり頑張って
大人のオーディション会場まで行くと
これまた、たくさんの人人人。

しかも
スタイル抜群で
美人と可愛い人しかいない。
金髪茶髪ほぼほぼ舞台メイク…
そんな人ばかり。
当時はダンサーが多かったと思います。

完全に場違いです。
私のぽっちゃり写真覚えていますよね?
あのナリですから。

その中から9人だけが
いきなり呼ばれて別室へ。
(やや)ぽっちゃりの「明らか歌い手です」
みたいな9人に私も入っちゃった。

自由曲を1曲用意するよう
言われていたので
私は「美女と野獣」を歌いました。
場はアウェイでも歌は本職だから
ちょっとは頑張れました。
外国人の演出家の先生が
ノリノリで聴いてくれたのが救いでした。

そしたら私、呼ばれましてね。
「演出家がもっとアップテンポの曲も
聴いてみたいと言っています」と。

いやいやいや( ̄▽ ̄;)
いやいやいや…何言っちゃってるんですか。
そんな用意ないですよ。
ハイ!アウトーー!


今ならね
アニーをちゃんと観て←
どんな役どころで
何が求められているかを考えて
雰囲気の違う曲を
2~3曲持って行きますよ。
何なら頂いていた台詞以外の
場面も予習して行きますよ。


結局、
最後の選考に残った二人は
その場でアニーの中の歌を
稽古して歌いました。
アニーの予習してないんで初見です(^_^;)
ホントに初見って苦手なんです。

歌の次は、
台詞のオーディションです。
事前にもらった台詞。
暗記できてないけど←
練習したからがんばろって思ったら

「えっと、演出家が違う場面の台詞を
聞きたいと言ってますので
差し替えお願いしま~す!」

はっ!?Σ(゚д゚lll)

「30分差し上げますので
準備お願いしま~す!」
って、広い部屋に二人だけ
ぶちこまれて各自台詞の稽古。
こういう状況もものすごく苦手。

相手の声ばかりが耳に入ってきます。
一人にならないと集中できないーー!
何度読んでも
台詞が頭に入ってきません。
あー、トイレに行って
練習すれば良かったのかな笑


結果はもちろん惨敗orz


こんなビビりな自分とは
さよならしたい!
さよならしよう!!
いや、さよならするんだーー!!






<アニー>ホームページより拝借しました。
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by kannochie | 2017-04-04 00:58 | 自己紹介 | Comments(2)

【自分史 5】ダメがもらえない

「うたよみざる」の稽古は
ほとんど毎日
18時~21時だったと思います。

7月下旬からの
2ヶ月半の間
稽古に行き
翌日の稽古前におさらいをして
何かしらの決着をつけて
また稽古に出かけるという日々。
大変だったけど楽しかったなぁ!

お芝居も
ミュージカルも
オペラもみんな同じ。
舞台をつくるって
こういうことなんですね。





稽古は演出助手(=演助)が
見てくれます。

ある出演者が
この演助から言われていた
強烈なダメ出しが
焼きついています。

「自分が可愛いと思っているだろ?
それじゃ駄目なんだよ」

当時の私には
その意味も意図も
全くわかりませんでした。
だって、毎回言われているんですよ。


他の出演者は
帰りの電車で
毎回ダメ出しされるのが
シンドイと言っていました。

ところが私には
ダメが出ないのです( ̄▽ ̄;)

ですので演助へ
聞きに行きました。すると、
「ダメ出しが無いくらいで
不安になってたら駄目だよ。」と。

自分で考えて動いてみろ
という意味に捉えました。



板の上(=舞台)に立つ
ということは
どういうことなのか。
この作品を通じて
身体で感じていったように思います。

「舞台とは、その人となりが全て表れるもの」
舞台に臨む際、
肝に命じている大切なことを
私はここで教えてもらったのです。



さて、このうたよみざるで
様々な地域を巡りました。
文化庁のお仕事でしたので
(後に蓮舫さんによって
仕分けされてしまいましたが(^o^;)
こういった公演を
あまり観る機会のない地域へ
行きました。

関西・四国・東北・関東
上越・中部・北海道・山陰・九州…
徳之島にも行きました。
演じた回数を
記録しておけばよかったのですが、
そういうことも
わからなかったので
はっきりした数は不明ですが
100回以上は
やらせてもらったと思います。


鳥取ではスゴい雪でした。
校長先生曰く
「本当なら休校だったけれど
皆さんが来るので
休みにしなかったんですよ。
だから、今日は
こられなかった子供もいます」と。


この作品は
体育館でも上演できるのです。
スタッフさんが
キャストよりも早く学校に入って
体育館にやぐらを2機立てて
照明を吊ります。
そして、舞台の一番奥に
おおぐろ(=大黒幕)をはります。
スタッフの皆さん
テキパキとカッコイイんです。


冬の体育館は寒い。
本番中、歌っていて
口から白い息が見えるのは
ゴジラみたいだけれど
仕方がない。
でも、鼻息まで白いのは
ちょっと恥ずかしかったな(///∇///)


ある学校では
PTAのお母さんたちが
炊きたてほかほかのご飯と
豚汁を用意してくれました。
お弁当ばかりじゃ
気の毒だからって。
美味しかった。
沁みました。

北海道では
道内の移動なのに
プロペラ機に乗りました。
北海道って広いんだなぁ~と。





何の見通しもなく
教員を辞めたけれど
このタイミングでなければ
この作品にも
尊敬する舞台人の方々にも
会えなかった訳です。

こういったことを支配する何者かが
もし存在するのだとしたら
お伝えしたいです。
「ありがとうございます」と。



三木先生のホームページよりお借りしました。
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by kannochie | 2017-03-30 10:55 | 自己紹介 | Comments(0)

【自分史 4】かっこよく教員を辞めたもののトホホな話

それまで忙しくて
歌の練習も
ままならなかったのに
4/1からいきなりの
スケジュールフリー。

そう、何の見通しも
何のあてもなく
教員を辞めたのです。
無謀というより
本物のアホなんだと思います。


この頃、
ビデオを借りてきて
たくさんの映画をみましたが
あまり覚えていないんですよね。

一日中パジャマ姿で
借りてきたビデオを
なんとなくみて
一日がなんとなく過ぎていく。
昼夜逆転生活。

カッコイイこと言って
教員辞めて
何やってんだか…(;´д`)トホホ




と、5月頃だったでしょうか。
電話がかかってきました。
同じ学校で働いていた先生です。


かんのさん、何かやってる?

いえ。何も。

僕の同級生のお姉さんがサァ
歌をやっているから
会ってみたら?

(気をつけ!の姿勢で)ハイッ!
ありがとうございます!




こんなにいい人、
世の中にいるんでしょうか…?
教員を辞めてしまった私に
わざわざ電話をくれて
歌い手としての糸口を
授けてくれたのです。

紹介された方とお会いするのに
何を準備したらよいかも
どんな服装で行ったらよいかも
当時の私には
わかりませんでした。
とにかく
離任式の時のスーツを羽織り
「何か歌って」と
言われても良いように
発声練習だけは
して行ったと思います(^_^;)


お会いした方は
歌い手ではなく
制作に移ったということで
こんなお話をしてくれました。

作曲家三木稔氏の
「うたよみざる」という
舞台の制作をやっている。

秋からの学校公演に向けて
アンダーを探している。
【アンダー:代役の意味。UnderstudyまたはStandbyと呼ばれ、いざという時の交代役としてキャスティングされる。】

声を聞かせてもらうと思うと
言われたのですが…
次の連絡では
稽古日程が来て、
訳のわからないまま
稽古が始まりました。


コロスという面白い役でした。
ある時は村人
ある時は猿村の猿
山にも草にもなります。
楽器もちょっと演奏します。
歌って踊ります。
台詞も言います。
そう、6人でストーリーを
引っ張っていく役どころで
2時間ほとんど出ずっぱりです。


7月下旬から9月いっぱい
稽古をしたように思います。


経験ゼロの私は
音楽稽古?立ち稽古?
え?踊るの?
ええっ?猿になるの?
ハテナだらけです笑

アンダーというお話でしたが
数週間の公演の後半を
私たちが演ずることになりました。



半年前まで学校で
公演をお迎えする立場だったのに、
お伺いする立場になりました。
人生とは不思議です。






こちら<うたよみざる>舞台写真
三木先生のホームページからお借りしました。
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by kannochie | 2017-03-28 19:43 | 自己紹介 | Comments(8)

【自分史3】教員を辞めた理由は「初志である音楽の道へ進むため」

職場の校長先生が考えてくれました。
辞職理由:初志である音楽の道へ進むため。
このフレーズは、プロフィールとして今も使わせてもらっています。

ここへ至るまでには、幾つかの要因がありました。


1、結婚をする必要がなくなったこと。
それまでの私は
自分に全く自信がなくて、
相手から感謝されたり
必要とされることに、
自分の価値を
見出だしていたように思います。
なので、当時の彼とは
共依存のような
関係だったかもしれません。

でも、教員をする内に
漠然と何かが変わり始めたのです。


そして、決断。
お別れ。


大変でしたが
難航する話し合いの中で
ずいぶん自分を見つめ、
自分を思い知りました。
そう、思い知ったのです。

私の人生の大きな分岐点。
ここで私は違うレールに
乗り換えたのです。





2、「生徒が歌い手になるなら、私がなる!」と思ったこと。
教員の時、音楽部会で
こんな研究発表がありました。
ある男子生徒の歌声が、
小学校~大学の間に
どのように変わったを記録し、
研究したものです。

音大に進んだという教え子のことを
嬉しそうに報告する
その先生を見ながら、
私は「生徒が歌い手になるなら
私がなる!」と思ったのです。

そして、教え子の成功を
素直に喜べない自分は、
教員失格だとも思いました。




3、教員になったのなら、やっぱり担任を持ちたいと思ったこと。
5年で異動できるので、
そのタイミングで
中学校へ行く可能性も
ありましたが、
教員を3年続けたら楽しくて
辞められなくなると思いました。

教員はまたできるチャンスがあるけれど
歌は待ってくれないと
思ったのです。



そして、離任式。

私は「ありがとうさようなら」
という歌を
みんなの前で歌いました。


ありがとうさようなら


これ以上ぴったりな言葉が
あるでしょうか。


ありがとう。さようなら。



帰宅後、玄関で
頂いたたくさんの花束を抱いて
ただただ泣きました。







その3か月後
こんなに素晴らしい作品と
出会えるなんて
想像することもできませんでした。

私のデビュー作品「うたよみざる」
初めての舞台は学校公演でした。
こちらは数年後の一般公演の時のパンフです。

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by kannochie | 2017-03-27 00:07 | 自己紹介 | Comments(2)

【自分史2】楽しかった教員時代と運命について。

小学校で採用になる前、
浦安の中学校で
10月からの半年間、講師をしました。

採用試験の願書と一緒に
講師登録の申込書があったので
全員が登録するのだと
思っていたのです(^_^;)

私は3年生に配属されました。
卒業アルバムの「好きな先生部門」
第3位に入選しましたよ!笑



中学校の卒業式では歌い始める前に、
胸に手を当てて3年生をぐるり見渡しました。

君たちをここまで導いてくれた先生と親に、
感謝の気持ちを込めて歌えよ、という
無言のメッセージのつもりでした。

これがうまい具合に伝わったのか、
やんちゃだった子も泣きながら歌っていました。
まるで金八先生のようでした。

後で聞いたところによると、
来賓で来ていた浦安市長に
「見たことのない音楽の先生だが
あれは誰だ?」と尋ねられた教頭先生が
「講師ですが、4月から八千代で
採用が決まっています」と答えると
「なんで浦安で採用しないんだ!」と
言ってくれたそうです。

人の運命は、わかりません。
浦安で採用になっていたら、
中学校で採用になっていたら、
また違う人生だったかもしれません。





4月。晴れて教員として採用された小学校の
校長先生に会うと
「かんのちえ?
…なんか聞いたことあるぞ」と言われました。

はい、そうです。
先生がまだ教頭だった時、
私はその小学校に通っていましたからね。

そうなんです。
小学校の時の教頭先生が、
職場の校長先生として目の前にいたのです。

そして、独特のダミ声(失礼ですね(汗)で、
「せっかく菅野さんが来たんだからよぉ、合唱部やれよ」と。
はい。この一声で合唱部発足です。笑




小学校には音楽集会がありました。
各学年が合唱や合奏を披露する集会です。
小学生は素直で柔軟ですから、
未熟な指導でも声を聴いて
どんどん上手になっていきます。

これも後で聞いた話ですが、
この音楽集会の時、
校長先生は体育館の片隅で
肩を震わせて泣いていたそうです。

あ。負けず嫌いの
体育会系の校長先生でしたから、
私にはそんな素振り
微塵も見せませんでしたけどね。




楽しかったなぁ。
大変だったけれど、とっても楽しかった。

こんな楽しい日々の中でしたが、
結婚をするつもりだった彼とは
お別れすることになりました。

私の人生の大きな分岐点。
私は違うレールを走ることに決めたのです。




こちらは、きょんちゃんからもらった絵はがき。
一番左の絵はがきを差し替えると
昼の桜と夜の桜が楽しめます!春だなぁ。
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こちらもきょんちゃんにもらった
アイシングクッキー♡
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by kannochie | 2017-03-22 00:46 | 自己紹介 | Comments(4)

【自分史1】僭越ながら、センエツナガラで教員になりました。

大学を卒業して、なんとなく歌を続けたいと思っていたけれど、ぼやぼやしている内に、これまた何かに巻き込まれるように結婚の話になった。彼に押しきられた形だ。
それまでは、のらりくらりかわしてしたのにね。

ところが、我が親が大反対。
「歌を頑張るというから応援してきたのに、結婚とは何事だ!結婚したいのなら、その前に勤めて社会を勉強してからにしなさい」と。

それもそうかなと思い、勤めるとしたら何かなぁー?と考えたら、幼い頃からなりたいと思っていた先生しかなかった。



教員採用試験の勉強はしなかった。根拠のない自信があった。もうそれは揺るぎなく、かといって気負うでもなく、フツーに教員になると思っていたのだ。図々しい。市内の小学校は同期8人しかいないのに。


千葉県の採用試験は、楽器も演奏しなくてはならない。
フルート科の友人にフルートを借り、レッスンまでしてもらうこと数回。「さすが歌科!ビブラートがすでにできている!」と褒められ、いい気になって試験に臨む。

ご存知の方も多いと思いますが、フルートは(管楽器全般は?)楽器が温まらないと音が出ない。
吹き始め数分間空振り(^_^;)
その後、奇跡的に音が鳴り吹けました。「遠き山に日は落ちて」


ピアノの初見の試験もあります。度々ブログに書いていますが、音大受験を決めた高2秋からピアノを始めましたので、ほとんど弾けません。音大では試験曲を毎度じっくり練習して卒業しました。

課題曲はトロイメライ。
原曲が何かわからないほどゆーーーっくり弾いて、
なんとか最後までいったら
試験官の先生の無慈悲な一言。

「生徒が弾いて下さいと言って、楽譜を持って来たらどうするんですか?ハイ、もう一度!!」

えっ?もう一度?
これ試験ですよね?
と思いましたけど、
もちろんもう一度弾きましたよ。

二回目でどのくらい弾けるようになるかをみたかったのか?はたまた、諦めずに食らいついてくる根性をみたかったのか…?わかりません。



そして集団討論。
私はこれで合格しました。
間違いないです。

何をやるのか全くわからなかったので、試験前日に高校の同級生に電話をしました。彼女は一足先に教員になっていたからです。

自分は中学校の採用試験を受けていないから、よくわからないと言いながら教えてくれたのは「集団討論って、僭越ながら私が司会を務めさせて頂きます。初めは意見が出ないと思いますので、私の考えをまず述べさせて頂きます。とかいうやつでしょ?」とのこと。


センエツナガラ…このフレーズが気に入りました。



討論会場には試験官が2名、受験者10名がおり、当然初めて会う人ばかりです。試験官は制限時間を発表すると「ハイ、どうぞ!」とだけ告げて、あとはダンマリです。

各自の机上に置かれた封筒に、討論のお題が入っています。
不登校についてのお題でした。
中学3年間、不登校の友人のお世話をしたことがありましたので、落ち着いていました。そして気づいたのです。

そっか。
ここでセンエツナガラね!

「センエツナガラ、私が司会を務めさせて頂きます。初めは意見が出ないと思いますので、私の考えをまず述べさせて頂きます。」



試験とは思えぬ熱い討論が繰り広げられたのです。時間ぴったりに結論も導けました。

試験が終わった後も討論が止まりません。廊下で涙ぐみながらまた語り、いい討論だったね!と興奮覚めやらず。

そして三月上旬。

電話がかかって来ました。
「中学校ではありませんが、八千代市内の小学校の音楽教員として採用できます。」



こちら教員時代のわたし
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教員なりたて、コロッコロ時代のわたし笑
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by kannochie | 2017-03-21 01:42 | 自己紹介 | Comments(6)